2020-03-10 第201回国会 衆議院 法務委員会 第2号
その大もとは、戦前の人権侵害に、検事も、思想検事として特高警察と車の両輪として治安維持法を運用していった、運用を拡大していった、そういう歴史があるからであります。戦前の弾圧によって、拷問で、時に私たちの党の先輩も命を落としました。
その大もとは、戦前の人権侵害に、検事も、思想検事として特高警察と車の両輪として治安維持法を運用していった、運用を拡大していった、そういう歴史があるからであります。戦前の弾圧によって、拷問で、時に私たちの党の先輩も命を落としました。
先ほど通信傍受の必要性というようなこともお触れになりましたけれども、先ほど久保井参考人にお話ししたように、戦前は特高警察と思想検事という強い権限があって、これが国家総動員体制を構築していった。戦後のいわば改革でスタートした検察のあり方、これを五十数年の歴史を振り返ってどういうふうに評価されているのかという点について、非常に大きな視点で、どのようにお考えになっているのか、お願いしたいと思います。
いまファシズムの台頭期で、思想検事上がりの人がもう一度夢を復活して、一高、東大の秀才だったなんてエリート意識を持って日本の新憲法の持っている意義というものがわからないで、べらぼうな発言をすると同様、政治家の中においても憲法を無視する非常に不見識な言動というものがはやっておるし、福田さんもどっち向いているのかわからないような、群馬あたりの変なだるまがはやっていますか、全くこれは不見議です。
戦争中の「思想月報」、これは思想検事の報告ということになるのではないかと思いますけれども、それを見ますと、当時のいわば軍令に関して「従来の法律観念よりすれば本軍令の如きは其の規定簡略に過ぎ内容抽象的にして解釈上幾多の疑義を生ずる余地あるべきも、反面変転極りなき現下の情勢に処し適用範囲を適宜伸縮し得るの妙味あり、」云云と言っておるわけでありますけれども、私たちはこういう考え方が実はこの法案の中身にあるのではないかということを
○青柳委員 このような制度が戦後の民主化された日本の検察制度の中へ取り入れられたわけですが、戦前に思想検事の制度がありまして、これがいわゆる治安維持法、治安警察法その他国家総動員法、いろいろの思想統制の実定法を運用する場合の専門職のような形で大いな威力を発揮したわけでございます。
私が無事の罪で憲兵隊に投獄されましたときに担当しておりました思想検事さんなども、お心持ちは後悔されておるかどうか知りませんが、やはりそれぞれ局の中に御在任あって、そしてときどきアメリカにおもむかれているというような様子を新聞で伺いまして、よき日本人に立ち返ってくださっているならばいいことであるけれども、悪にも強ければまた悪にも強い、どうせやけのやんぱちで、昔はファッショであったから、今度はひとつアメリカ
これは有名な思想検事でございます。美濃部亮吉さんはこの井本検事につかまりまして、そうして何とかして治安維持法違反で調べようとしたが、美濃部先生あるいは有沢先生、脇村先生などが別に治安維持法違反でなかったことは事実です。それが戦後になってちゃんと刑事局長をやっていらっしゃる。問題は人的構成、裁判官、検察官の意識をどうするかということで、その上で法律が適用されておるものでございます。
さらにまた、この長谷川検事は思想検事で、この人は常習暴行の検挙のための資料収集について注意を与えておられるわけです。「本罪の如き常習者の検挙には常習者名簿又は常習犯罪表を調製整備して置く事が必要である。之等の名簿又は犯罪表に記入して置くべき事項は次の各項目である。」というので、八項目をあげておられるわけです。
そういう形の責任追及があったときに、一体あの当時の一つの教育行政というものは上の命令に従わなければならない、しかも教師の教育上のものの考え方についてもきびしくこれを統制したいわゆる教学官と称する、ある意味では教育界の思想検事といわれたこれらの連中が、お前の考え方ははなはだ穏当を欠くとか、非常に危険な思想を持っているとかいうようなことで、教師を集めて徹底的な臣民の道、皇国の道をわれわれにたたき込んだというような
このいきさつは、当時この事件の捜査主任をつとめていた小山松吉検事が昭和三年に当時の思想検事を集めて講演をしたその筆記の中に出てきておるのでありますが、秋水については、秋水ほどの人物がこの事件に関係のないはずはないという推定のもとにということをはっきり書いてございます。証拠は薄弱ではありましたが幸徳も同時に起訴するようになったのでありますと書いてございます。
○山田委員 この太田弁護士は御承知のように思想検事として追放された人で、あなたはここへ行ってどういう話をされたかわかりませんけれども、とにかくこの場所に行かれてあなたが話されていることは、学生協に不正があるから、この学生協を何とかして、日教組をつぶそう、こういう意図のようなことを言われておるような話ですが、もう少し太田弁護士に話した内容を明細に話して下さい。
○岡田宗司君 これは公安調査庁というものが設置されるとき旨いろいろ論議されたわけでありますが、昔の特高の活動とは違うのだ、思想検事の活動とは違うのだということを言われておりますが、これはやはり僕らの眼から見ますと、そういうようなものと同じ系統のものだということを感じるのです。
その点につきましては、只今お尋ねの点につきましては、今まで私の知つておるところでは、いわゆる戦前において思想検事であつたというようなかたはちよつと今思い当らんのでございます。
○羽仁五郎君 ちよつと公安調査庁に要望なんですが、われわれしじゆうこの法務委員会から、委員会の任務に基いて裁判所や検察庁の方々の御意見を伺つたり調査したりしているのですが、ごく最近にも検事の方から、こと前に思想検事をなすつていた方から、敗戦によつて非常なシヨツクを受けたというお言葉を伺つたことがあります。
例えば私がメーデーの事件で調査に行きました際に、木村法務総裁の下の検事やそういうような人は、治安維持法を適用してそうして日本を誤らしめた、そうして思想検事としてパージにかかつた、そういう体験がしつかりと胸にあるわけです。そこでこういう問題は一片の治安立法では如何ともしがたい。
昭和十六年の十二月八日に太平洋戦争の御詔勅を拝したのでございますが、あの頃に、大変失礼なことを言いますが、私は清原さんは思想検事でいらしたと思いますが、如何でしようか。
○宮城タマヨ君 その頃に、この地方検察庁の思想検事のかたに聞けば一番よくわかるかも知れませんが、馬場検事正もきつとその頃東京にお出でだつたと思いますが、あの十二月八日の朝転両者を大方検挙したと思いますが如何ですか。全国の転両者を。特審局長もその頃に検事でいらしたのですか。
それはやはり曾つての治安維持法を強力に推し進め、或いは思想検事なんかとしてやつて、日本が破局にまで行つて、そうして戰後そういうことをやつた人が追放された体験を持つている。
(拍手)今や治安維持法は復活され、特高警察もこしらえ上げられ、思想検事もでき上つて、国民の自由なる思想も言論も圧殺され、かくしてアメリカの要請による戰争へ戰争への方向をいよいよ強化いたそうとしております。このことは、このたびの治安関係の機構改革の内容を検討いたします場合に、きわめて明瞭でございます。
これは私自身の経験から申上げても、そういうことははつきり言えるのですが、例えば必ずこの公安調査官といいますか、いわゆる思想検事でしよう、昔の……。それはこういうことを言うだろうと思うのです。あなたはこういう政策上の主義を持つている。現在それは実行できない。合法的に或いは議会に出ようと思つても、合法政党としては否認されている。
これはアメリカの行政官や裁判官のように、いわゆる言論の自由というものを高度に尊重いたしまする慣習のあるところにおきましては、こういう文句でもいいかも存じませんけれども、日本のいわゆる特高精神横溢いたしておりまする警察官、あるいは思想検事のような頭になりやすい検事、かような者もまだ多数現存いたしております。今の特審局長の吉河君なんか、あれは私は思想検事をやつていたんじやないかと思う。
(拍手) またポツダム宣言によつて廃止されたはずの思想検事、特高警察は、衣をかえて特審局、特捜警察として復活し、工場、農村へ官庁、学校の中に侵入して思想調査を行い、国会議員にまで尾行するなど、秘密警察、スパイ政治を再現している。言論、報道に対する圧迫も、またきわめて深刻である。今日良心を持つた言論報道人で、言論報道の統制、圧迫に脅かされない者が一人でも存在するだろうか。